降車駅 第2章
第2章 『桐谷直人』
第2章 『桐谷直人』
🎧 Chapter Soundtrack
『downtownⅡ』より「Spring Garden」
桐谷直人は、寝ぼけ眼を指で擦りながら、キッチンに向かうと昨晩、近くのコンビニで購入したスティック型のカフェオレをコーヒーカップに入れてお湯を注ぐ。
「あちッ」とカップの取っ手ではなく別の場所に手を触れてしまい、急いで耳たぶに触れる。
ソファに腰掛けると、SNSから朝の情報源をインプットしていく。
人の行動に興味を持っている彼だからの日常的な朝の光景。
くだらない発信をしている呟きを流すようにスワイプしていく。
『目新しいくだらない投稿はなしか…」
ようやく冷えてきた指を、耳たぶから指を離すと、英字新聞のアプリを開くふりをする。
「読むかよ、こんなの…会社が読めというからインストールしてるだけのこと」
直人はふと、英字新聞アプリの下部に表示された広告に目が行く。
なんかいつも鬱陶しいんだよな…この広告。
いつも目に入ってきて、洗脳されそうだよ。
『シミッターレ・クエスト』
ソシャゲ?こんなの何が楽しいのか、俺には理解出来ない。
直人は、「入手」ボタンに吸い込まれるように、押下していた。
画面に、見慣れないファンタジーの世界が広がった。
『シミッターレ・クエストへようこそ!』
「……演出が派手だな」
画面中央には、剣を持った男が立っている。
『まずは冒険者を作成してください』
「冒険者?」
直人は画面を指でなぞる。
髪型、顔、服装。いくつかの項目を選んでいくと、最後に名前を入力する画面が現れた。
『プレイヤー名を入力してください』
「プレイヤー名ねぇ……」
少し考えてから、適当な名前を入力した。
『ナオト』
「そのまんまかよ」
自分でツッコミを入れながら決定を押す。
すると、
『新規冒険者ログインボーナス!』
という文字が画面いっぱいに表示された。
「なんだこれ?」
宝箱が開き、画面にいくつかのアイテムが並ぶ。
『無償ジェム×500』
『スタミナ回復薬×3』
『初心者装備一式』
「……ジェム?」
意味が分からない。
画面の隅には、さらに小さく、
『初心者応援! 無料10連召喚!』
と表示されている。
「無料……」
直人の指が止まった。
「……まあ、無料なら」
押した。
派手な音とともに、画面の中で宝箱が宙に浮かび上がる。
「なんだ?この演出……」
宝箱が光る。
目がシバシバしてきた…
眩しすぎるって
一つ、二つ、三つ。
次々とカードのようなものが現れていく。
『★3 見習い剣士』
『★3 薬草師』
『★4 炎の魔導士』
「……★4?」
直人は画面を見つめた。
すると画面の上に、
『大当たり!』
と表示された。
「これが当たりなんか?」
直人はまだ、このゲームの何が面白いのか分かっていなかった。
だが、画面の下に表示されたチャット欄が目に入った。
『初心者さん、★4出てる!』
『おめでとう!』
『その魔導士、序盤なら強いよ』
『よかったなー!』
「……誰や、こいつら」
顔も知らない。
名前しか分からない。
なのに、自分の画面を見て喜んでいる。
直人は少しだけ不思議に思った。
『次のクエストへ進みますか?』
「クエスト……」
どうやら、このゲームには冒険を進めるための依頼があるらしい。
『第一章 はじまりの森』
『推奨レベル1』
「まあ、やってみるか」
直人は画面をタップした。
「くだらないことで、貴重な朝のひとときを台無しにしてしまった。我ながら、何をやっているんだか。
やめやめ……仕事、仕事。
俺はスマホをベッドに放り投げると、緩んでいたネクタイを締め直した。
朝食は、俺が作った完璧なベーコンエッグだ。
香ばしく焼き上げたカリカリの厚切りベーコン。その上に、目玉焼きを二つ乗せる。
傍らには、キャベツも欠かせない。野菜は摂取しなければね。
ドレッシングは、スーパーで買ってきたカロリーハーフのマヨネーズ。もちろん、買う前にはラベルの裏表示をきちんと確認している。
脂質や糖質が、なるべく抑えられているものを選ぶ。
「こういうところは、妥協しない。」
「肉と卵だけでは栄養が偏る。だからキャベツも食べる。健康管理は完璧だ」
ガスの元栓、水道の蛇口、窓の戸締り、電気、冷蔵庫の閉め忘れなし、エアコンもオフ。スマホは後ろポケットに忍ばせてある。
今日も見事なまでに完璧だ。
よし、出勤するか……
俺は玄関で靴を履いて、出ようとして――止まる。
「……鍵を忘れた」
俺はゆっくりと振り返った。
テーブルの上に、鍵が置いてある。
「…………」
完璧な朝だったはずなのに。
俺は無言で鍵を取りに戻った。
俺が、苦虫を噛みながら、鍵を握りしめて玄関に向かうと
ちょうど入り口のインターホンがけたゝましく鳴った。
「ドンッ!ドンッ!ドンッ!」
「桐谷さーん、いるんでしょう?分かってんだから」
一回鳴らせば聞こえるっての。ドアまで叩くか?普通。
朝っぱらから誰なんだよ…ったく、俺の99%完璧な朝が台無しじゃないか。
『桐谷…直人さん?ですね?』
直人は入り口に立つ2人組を、頭から足元まで観察した。
「我々はこういうものです。」
『ええ…見りゃ分かりますでしょ?そんな格好してる一般人はいないでしょ?』
『御託はいいんですよ。御託は…』
「だから、何なんですか?俺、今から出勤なんですけど」
『ああ、すみません、すぐに終わりますから。』
『先日、電車の中でこういう人物を見かけませんでしたか?』
警官らしい人物は、一枚の写真を直人に向けて差し出してきた。
『その前に何で俺なんですか?他にも乗客なら何人もいたでしょうに。』
『詳しいことは、申し上げられません。守秘義務がありますから。』
直人は、警察らしき人物から渡された写真を見た。
ーーこの男は…。
ーー写真の男は頬がコケた下がり目気味で丸いメガネをかけ、白髪混じりの人物だったーー
直人は右の眉毛が一瞬…『ピクッ…』と上がった。
『何か知ってるんですか?桐谷さん…』
『…い、いえ。知りませんね。こんな人。それに似たような人なら電車に大勢いましたし…』
警察たちは、直人の表情を見ると顔を見合わせて、頷きながら…
『そうですか…朝の忙しい時間に大変申し訳ございませんでした。それじゃあ、何か思い出したら、ここまで連絡ください。どんな些細なことでも構いませんので。』
『はい、分かりました…』
渡された名刺に目を落とした。
『中野警察署、捜査一課 南蛇井銕心/四月一日柊真』
『…………』
何て読むんだよ?
警察は直人に、軽く頭を下げると何やら耳打ちして、去って行った。
直人は、一旦ドアを閉めて警官らしい人物をやり過ごすまで入り口に立ったまま呟いた。
直人は一旦ドアを閉めると、警官らしい人物が階段を下りていく気配が消えるまで、玄関に立ったまま耳を澄ませていた。
「……時間ねぇじゃん」
腕時計を見る。
「あのソシャゲのせいだな。あれをやらなければ、99.9%完璧な朝だった。チクショウ。今日はついてないぜ」
『…あ!チクショウ…やられちまった。もうライフ残り僅かじゃないかよ。スタミナ回復薬は、明日にならないとゲットできんし。』
『誰か加勢してくれないかな…。おーい。直人はギルドチャットを覗き込む。ま、こんな昼過ぎからオンラインゲームやってるのは、暇人くらいなものか…』
『直人くん、ずいぶんと白熱してるようだね?レベルは上がったのかな?お前の頭のなッ!コラッ、仕事せんかい!仕事!』
俺のモニターの前に仁王立ちする上司であり叔父が物凄い阿修羅のような形相で睨みを効かせている。
俺は反射的にマウスから手を離した。
「いや、これはその……仕事の合間の、ちょっとした息抜きで……」
「息抜き?」
叔父の眉間に、さらに深い皺が刻まれる。
「ほう。仕事の合間にゲームをするほど、仕事に余裕があると?」
「いや、そういう意味じゃ……」
「じゃあ、どういう意味だ?」
「……」
答えられない。
そりゃそうだ。
仕事の合間どころか、今日は朝からほとんど仕事をしていない。
俺はそっとモニターの端に視線を移した。
ゲーム画面には、瀕死のキャラクターが地面に倒れ込んでいる。
その横には、無情にも表示されていた。
『GAME OVERまであと一歩!』
「……あ」
「何が『あ』だ」
「いや……ゲームのほうも、かなり瀕死でして」
「お前が瀕死になれ」
「叔父さん、それは洒落にならないって」
「洒落じゃない。俺の血圧が瀕死だ」
叔父は深々とため息をつくと、俺のデスクに積み上げられた書類を指差した。
「直人。お前、これ今日中に全部終わらせるって言ったよな?」
「……言いました」
「何時まで?」
「……五時」
「今、何時だ?」
俺は壁の時計を見る。
午後二時十三分。
「……まだ二時です」
「そうだな」
叔父はにっこり笑った。
嫌な笑顔だった。
「だから、あと二時間四十七分しかないんだよ」
「いや、五時までなら二時間四十七分もありますよ」
「その余裕、ゲームに回してた奴が言う台詞か?」
「……正論ですね」
「正論しか言ってねえよ、俺は」
叔父は俺の椅子をくるりと回した。
そして、俺と正面から向き合う。
「いいか、直人」
「はい」
「この会社はな、お前の遊び場じゃない」
「……はい」
「仕事場だ」
「……はい」
「そして俺は、お前の叔父だ」
「……はい」
「だからこそ言っておく」
叔父は一拍置いた。
「ゲームの続きは、仕事が終わってからやれ」
「……ギルドの仲間、待ってるんですけど」
「知らん!」
「ですよね」
俺は渋々、ゲーム画面を閉じた。
その瞬間。
『直人さんがログアウトしました』
画面に表示された文字を見つめながら、俺は小さく呟いた。
「……みんな、すまん」
「何を謝ってんだ」
「仲間にです」
「仕事仲間にも謝れ」
「……はい」
叔父は満足そうに頷くと、自分のデスクへ戻っていった。
俺はパソコンに向き直り、書類を一枚手に取る。
「……さて」
――というか、仕事は午前中にとっくに終わらせてるんだけどな。
叔父に言い返すと、あとから小言を言われて、貴重な俺のマイライフが失われていく。
ナオトのライフも、失いかけていたなぁ。
仕事を始めようとした、その時だった。
ふと、窓の外に目が向いた。
中野の街を走る電車が、遠くに見える。
その車両の中にいる人間の「行き先」が、俺には見えていた。
いつものことだ。
俺には、人には見えないものが見える。
電車に乗っている人間が、次にどこの駅で降りるのか。
ただ、それだけ。
俺は昔から、それを知ることができた。
――だから。
あの男の「行き先」が見えなかった時、俺は初めて違和感を覚えた。
『やれやれ、今日は朝から”分が悪い”始まり方だったから、すべてが空回りだよ。職場で叔父さんの怒りを買ってしまったし』
ぞろぞろと駅へ向かうスーツ達の流れに、沿うように直人もそれに倣った。
俺の計画通りの定刻での退社だ。5分も遅れてしまったが、叔父さんの説教さえなければ、定刻キッチリに会社から出れたのに。
『そういや、冷蔵庫に何も入ってなかった。帰りに近くのスーパー寄って帰るか』
コンビニなんかで数枚しか入っていないペラペラの透き通るようなベーコンなんて、俺からしてみれば邪道の他の何物でもない。
数ミリのズレ、厚さはその日、一日中引きずってしまう。
熱したフライパンにオリーブオイルを軽く垂らして、ジュッ……。
フライパンとの接地面から香ばしい音が立ち、湯気と芳醇な香りが鼻をくすぐる。俺はベーコンを裏返す。
そこへ卵を二つ割って落とす。
キッチンタイマーを60秒に合わせると20ccほどの水を入れてフライパンに蓋をして蒸し焼きにする。
キャベツとレタスと千切り胡瓜にカットトマトを入れたら、コーンスープと厚切りの食パンだ。
これこそ朝の醍醐味だ。
この組み合わせだけは、譲れない。俺のこだわりだ。
本当なら、豆から挽いて飲みたい。高いコーヒーメーカーも欲しい。
……でも、まだ買ってない。高いから。
今日は、阿佐ヶ谷まで足を運んでみるか。
阿佐ヶ谷に行けば良いベーコンが売ってるかもしれない。
明日からのこだわりの未来が俺のマイライフと心を豊かにしてくれるはずだ。
阿佐ヶ谷の駅を降りてロータリーから並木道が真っ直ぐに伸びており、道路の左右の木がそれを遮るように茂っている。
昼ならその木々の隙間から木漏れ日が差し込んでくることだろう。
俺は想像してみた…小鳥たちの囀り、豊かな緑に町の人々の会話、バックに流れる心地良いBGMが俺の人生という冒険を支えてくれる。
俺の残り少ないライフを満たすために、宿屋を探さなければ…。それに新しい防具と次の町までの危険な道のりのためにより強い武器を整えなければ。
その前に冒険と小モノのNPC中ボスからの小言で疲れた身体を癒すために食材を確保しなければ。
俺を癒してくれるのは、カリカリに焼いた厚さ5ミリほどのベーコンだ。
しばらく商店街を散策していると焼き鳥居酒屋など新橋あたりの老戦士が飛びつくような酒場などがあり、中でも目立つような灯りを煌々と放つスーパーが見えた。
『あそこにするか…』
直人は入り口から店内に入ると、レジのお姉さんにチラッと視線を感じる。店員さんは俺を見ると口角を軽くあげて、上目遣いのまま笑みを浮かべる。
そこへ、宿屋のおばさんみたいなキャラが現れた。
すると、さっきまで俺に向けていた店員さんの表情が、ふっと消えた。
『 ベーコン…ベーコンと…』
直人から視線を逸らすように、加工肉コーナーへ向かう。
『分かりづらいな。このスーパーの配置は?
ベーコンどこだよ…』
『何かお探しですか?』
突然、背後から声をかけられて、俺は戸惑いながら『ヒィヒィッ』と声が裏返ってしまう。
振り返りざまに、思わず『あッ…』と声を漏らした。
さっきのレジのお姉さんだ。
サイドの髪を編み込みながら、後ろでカチューシャで止めたナチュラルブラウンの艶髪が美しい。
『あ、あの…ベーコンを探しているんですけど…』
店員さんのあとについて、加工肉コーナーまでやってきた。
『おお…これは』
『ここが加工肉のコーナーです。ベーコンならうちの店は数多く取り揃えております』
『豊富な品揃えですね。このスーパーは…』
『ベーコンお好きなんですね…うふッ。ベーコンでそこまで目を輝かせてる人。初めて見ました』
店員さんは軽く頭を下げて『またいらしてくださいね』と笑みを浮かべてその場を後にした。
俺は目的の食材を道具屋でゲットするとレジに並ぶ。
レジは平日ということもあり、3つあるうちのひとつは、閉めており、「お隣のレジにお並びください」とプレートが置かれていた。
レジには宿屋のおばさんと小柄な女子がひとつのレジに並んで立っていた。
視線を感じた俺は、レジの店員さんに目を向けると、あの宿屋のふくよかなおばさんキャラは、こちらを見て様子をうかがっているようだ。
「何だよ…仲間に加わりたいのか?」と作り笑いをしてみた。が、あまり得意ではない俺にはどうやら無理があるようで、顔面が引き攣ってしまった。
『お願いします…』とベーコンの束をレジカウンターに置いた。先程、こちらを見て様子をうかがっていた宿屋のおばちゃんは、今は隣りの女子に話しかけていた。
「なんかポヨっとしてるな」
『ポヨ』
我ながら良いネーミングだ。
ポヨの胸あたりはあまり見たくはないが、観察すると『浦川』というネームプレートをつけていた。
隣りの女子は、俺よりも背丈は小さく小柄体型に小さな顔に茶髪ときてる…
『ん?…コイツは確か』
『あッ…!』
コイツ…あの時の女子高生じゃないか。
ネームを見たら『相澤』と書いてある。
『袋に入れますかー?』
『え?あ、ああ…お願いします』
『相沢さん、そうじゃないでしょ?袋にお入れいたしますか?でしょ』
どうやら”ポヨ”は教育係らしい。
女子高生はしきりにこちらを警戒している。ベーコンを袋に無造作に詰め込むと、直人に渡しながら、お釣りを空中から手のひら目掛けて、落とした。
ー空中から落とすなよな。コイツ。汚かなかねぇわ!ー
『ありがとうございましたぁーー』
すると、”ポヨ”が『相沢さん!…
『語尾伸ばさないの!』
ー語尾伸ばすなよな!語尾!
俺は不覚にも”ポヨ”とハモってしまった。
俺は口に出してはいないけど。
🎧 Chapter Soundtrack
『downtownⅡ』より