降車駅 第1章
『降車駅』
yorushion / 星野彩美
第一章 『行き先不明』
BGM メインテーマ曲
「ある人だけ行き先が分からなかった…」
あの白髪混じりの背の高いメガネの紳士…サラリーマンか。新橋で降りるな。
さては、高架橋下で一杯ひっかけるつもりだろう。
隣の吊り革を握ってソシャゲしてる太った学生は見たところ大学生ってところか。
帰宅したら、真っ先にオンラインゲームするタイプだな。
さては、秋葉原から乗り換えてきたな。
あのOLは新宿で降りるのか…
これから恋人と駅前で落ち合っておおかた新宿の映画館でレイトショーでも行くつもりだろうな。
今も電車の中で、座りながら周囲を気にもせずに化粧をしている。みっともない。
あんなのが彼女なら俺はごめんだ。
くだらない特殊な能力だよ。こんなの何の役にたつのか。
俺の人生に必要のないものを神さまは授けてくれたものだよ。まったく…
変に感受性が人より高いもんだから、昔から「ある勘」というものが一般人の数倍高い。
残業終わりで疲れてクタクタなのに、こんなことしてないで早く部屋で休みたい。
だけど、俺の性分なんだよ。人間観察って、やってて飽きない。人がどんな人生を送ってて、何を生きがいにしてるのか興味がある。
その選択肢が果たして合ってるのか、間違えて良からぬ方向に人生が向かっているのか?ということを考えてると、他人様もくだらない人生を送ってるのがみてとれる。
それに比べたら俺はまだマシなほうか…
さっきの白髪サラリーマンのオッサンもそうだ。どう見ても人に指示を与えて仕事を淡々とこなしていき、大きなプロジェクトを任されたリーダーには見えない。
係長止まりだろう。
今の世の中、年功序列なんて衰退してるんだ。
お上くらいだろう、天下りでふんずりかえって、名ばかりの役職に腰掛けてる連中なんて。
仕事で蓄積されたストレスを高架橋下に置き去りにするのがオチさ。
あの大学生だってそうさ。推し活帰りみたいな顔してる。あの背中に背負ったリュックには、使い捨てのサイリウムと鉢巻と半被が入ってんだろうさ。
ようやく化粧を終えたようだな。あの美人局みたいな顔したOL。顔立ちは良い。中身は空だろうがな。映画観たあとはホテルにでもしけ込むんだろうさ。
彼にとっては、他愛もない能力だとしか思っていない。
実際に、電車で通勤している人や利用している人は、人間観察くらいはしたことはあるだろう。
他人の動向に、人間は興味があるのだから。自分が人よりも特質した性格を持ち合わせているなど考えたこともなかった。当たり前の日常だと感じていたからだ。
そんな彼の考えを一変させてしまうことが以前あったのだ。「学生時代からの生活習慣」から、あまり人と接することを苦手としている彼にとって、唯一大勢の他人と接する機会があるのは、通学だった。社会人になってからはそれが通勤に変わっただけのことだ。
毎日混み合っている山手線に列を成して整然と並び、下車する降車客に先を譲り、その後に乗車客が乗り込んでいく。日本では見慣れた当たり前のような光景。
「彼は電車の中で、人間が無意識に繰り返す行動を見るのが好きだった」
誰も言われていないのに、当たり前のようにしている行動学。空気を読むというのか、人がやるから自分もそれに倣う。海外では、そんなことを思いもしないらしく、我先にと乗車するのが、日常だというのだ。
そんなある日、彼が西日暮里あたりで乗車客が空いてきたのを見計らい、シートに座りスマホをいじっていると「視線」を感じたのだ。
スマホの操作を止めて辺りを見回すと、斜め向かいの角の手摺り付近に腰掛けてこっちを見つめる女性と視線があった。
「何だよ。あの女…何でこっちを見てんだ?」と口には出さないが頭の中で思っていた。
こんなときに彼はいつもこう思う。
「視線を先に逸らしたほうが負けだ。絶対に先に逸らしてなるものか」
くだらない意地である。そんな予備知識どこから仕入れてきたのか。
いやいや、それは「恋愛」のことだろうなど、彼のように人と関わり合いを避けてる人にはそう思わないのだ。
「恋愛」において、好きな相手と視線があったときに、先に視線を逸らしたほうが、相手に興味があり、相手に対して好意を持っているのだという、そんなことを今の彼には分からない。
あの女…見るからに20代後半か30代前半あたりだろう。身につけてる服や髪型や手提げバッグなど見ると容易に想像できる。
あの女…
秋葉原で乗り換え → 飯田橋で下車
飯田橋だ。
「飯田橋……大学でもあるのか? それとも友達と待ち合わせか」
「あの女、飯田橋で降りると思ったら降りない。
……行き先不明?
おかしいなぁ。さっきまでは確かに飯田橋だったはずだ。
それは間違いない。なぜ行き先不明に変わった?
…秋葉原〜秋葉原〜お出口は左側です。お降りの際にはお足元にお気をつけ下さい。秋葉原…秋葉原
俺は降りようと席を立ったときに、あの白髪に目を向けた。
すると、さっきまでは「新橋」だった行き先が「行き先不明」に変わっていた。
「あれ…おかしいなぁ。さっきまでは新橋だったはずなのに。俺の見間違えか?今日はおかしなことばかりだ。
手摺り付近に腰掛けていた俺は下車して素早く人の流れを掻い潜りながら、5番線ホームの階段を駆け上がると列を成し始めた人の後ろに並ぶ。
さっきの女、始めは行き先が飯田橋だったはずだから、同じ中央線に乗るはずだから、ここにいるはずだが。
俺の後方、五人ほど離れたところに、さっきの女がいた。
スマホをいじっている。
「……やっぱり来たか」
女は近くで見ると思ったほど若かった。さっきは角と斜め向かいの角の席だったからあまりよく見えなかったが、ほんのり薄化粧にルージュを軽く引いた飾り気のないタイプの女だった。
すると、その女は男の視線を感じでスマホ画面から目を離し視線を合わせてきた。
まずい…と思ったのか男は正面に向き直して入ってくる電車に目をやる。
見ていたのがバレただろうか…派手な感じはしないごく普通の女子大生の雰囲気だった。
あの女、行き先を突然変えていったいどこに向かうというのだろうか?
飯田橋に自宅かワンルームの部屋を借りてるんじゃないのか?それとも、スマホを見ていたから彼氏から連絡がきて、これからそこへ向かうのかもしれない。
にしてもだ…。待ち合わせなら、場所が特定されるはずだ。なのに、なぜ行き先不明なんだ。
彼氏と待ち合わせではないのか?
大学に向かってるのではないのか?
そんなことはどうでもいい…。
「ドンッ…」
「すみません…」
俺はよそ見をして考えごとをしていたから、前方から来る人の気配にまったく気づかなかった。
急いで頭を下げて、今しがたぶつかった相手の顔を見た。
少し顔を下に向ける必要があった。何故なら相手は俺よりも背丈が小さく顔の小さい女子高生だったからだ。
相手を見ると彼女も本を手にして、読書に夢中になっていた。制服からしてこの辺りの高校ではなさそうだな。
「……前、見て歩いたほうがいいですよ」
彼女は、まったくの無表情のままで顔色ひとつ変えずに去っていってしまった。
男は、「いや、お前も本読みながら歩いてただろ」などと、女性に対して文句を言えるようなタイプではない。
「……なんなんだ、あの女」
俺は振り向きざまに、まだ数メール先を歩いて遠ざかる女子高生を見た。彼女は中央・総武線のホームから山手線へ向かっていた。
三鷹方面から来たらしい。
荻窪か西荻あたりから乗ってきたのだろうか。
制服を見る限り、この近辺の高校ではなさそうだ。
男は後ろ姿の彼女の後頭部に目を向けると…
「…上野」
「三鷹方面からアキバで山手線に乗り換えて、上野か…」
「女子高生が一人で上野まで……。友達と待ち合わせか?」
何の用があるというのか…。
「上野……?
何しに行くんだ、あの子。」
人間の行動は時としてよくわからないものだ。
「茶髪の無表情な女子高生が上野に何しに?」
そのうち名も知らない女子高生は人混みの中に吸い込まれるように、スゥ…と消えていった。
あの…「早うしいやッ!兄ちゃん」
「あ、ごめんなさい…」
俺は咄嗟の出来事に思わず、弱々しく嘆息を漏らすような、それでいて可愛い声で、後方から聞こえてきた甲高い陽気な大阪弁の女性にペコペコと頭を垂れていた。
「謝らんでええさかい、早よせぇちゅうとんねん」
頭を上げて、その女性の顔を見た瞬間にまた声を漏らしてしまう。
「あッ…!」
あの斜め向かいの角の席に座っていた女性だった。
いつの間に俺の後ろに並んでいたのだ。
厳密に言えば、俺が女子高生とぶつかって、謝ってるとき後ろに並んでいた4人は、俺を交わして先に乗車していたらしい。
そこへ5人目に並んでたあの気の強そうな女性が、後ろに並んだのだ。
「何が[あッ…!]やねん。早よせえ、ちゅうとんねん。」
俺は女に促されて乗車すると吊り革に掴まり何事もなかったように、スマホを取り出した。
すると、女は俺の脇を通り抜けるように乗車しながら、俺の顔をみると。
「兄ちゃん、気いつけぇや。ガキんちょにもさっき言われとったやないか。ほら…さいなら」
なんやねん…あのおなごは。個性的なキャラのやっちゃなぁ。
俺も大阪弁うつとるやないかい。と俺は自分でボケてツッコミを入れていた。
あれぐらい俺もコミュ力高けりゃなぁ。こうはならなかったのかもしれへん。
関西弁の陽気な女は、中央線の出入り口に一番近いドアの付近の角の席をちゃっかりと確保して、スマホを触り出した。
俺もスマホに視線を落とすように画面を見つめながら、視線だけ女に向けてみた。
すると女もこっちを見ていたかと思うと視線を外した。
今回は、向こうが先に視線を外したわけだ。
俺は内心、「勝った…」
先に視線を逸らさせてやったぞ。と勝ち誇っていた。
女は頬を少し赤らめて、恥ずかしさを誤魔化すためかスマホをセカセカと入力する素振りを見せている。
電車はようやく俺が降りる「中野」のホームに、キキキ…とブレーキをかけながら、ゆっくりと入り停車すると、プシュッ…と圧搾空気排出をした。
プシュ…ドアが開くと下車する人混みの後ろに並び、あの女とは別のドアから出た。
少し歩きながら、振り返ってみるとあの女も降りてきた。
…「中野」
さっきまで、行き先不明だったのに中野に変わっている。
あの女、中野だったのか。
男とは反対側の階段へと向かっていく。
飯田橋から中野に変更か。
突然何の気持ちの変化があったのか。
駅から出たら、もうそんな事など忘れていた。
🎧 Chapter Soundtrack
『downtownⅡ』より「直人のテーマ」